Neetel Inside 文芸新都
表紙

生きる術
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 一章 

 太陽はまぶしい。
 僕は当たり前のことを、ふと思う。

 日の当たるベランダから雲ひとつない空を見上げた。
 僕の心には予報されないこんな天気は、なんて身近なんだろうと感じた。
 
 しばらくして心にも体にもまぶしく感じた僕は、ベランダから部屋に戻った。

 二階の角部屋、アパートで一人暮らしの僕。
 
 和室の畳には、掃除されてないせいか僕の髪の毛が落ちていた。

 不摂生だからか、
 ただのめんどくさがり屋か、

 僕がそれを気にすることがなかった。


 敷布団に寝転がる。そして今日することを考えた。
 背伸びする為に大きく手を伸ばす。その伸ばした先にあるあれに手が届いた。

 まあ、手に入るのも、或る意味楽だったけどさ。

 これは瓶詰めされた薬。とても安易な目的のために買った薬だ。

 白くて、小さい錠剤。

 きっと僕も真っ白にしてくれる。

 僕はまた安易に考えて、ビンを見つめた。

 「危険 一度に多量摂取すると死に至る危険性があります」

 ビンに書かれた注意書き。
 僕は脳内の生ぬるい温度でそれを復唱した。
 すると脳裏に言葉が浮かんだ。
 「怖い?」

 これを渡されたときに聞こえた言葉が、この生ぬるさを一気に氷点下へ落とした。
死ぬことから10番目ぐらいに怖い言葉だった。

 人生トップ10の恐いもの。
 ちなみに4位とか5位は核兵器とか、ゲリラとか、細菌とか、癌とか。

 この薬の本当の持ち主は、シンセンパイという人だった。
 シンセンパイから僕はこれを、手に入れたのだ。

 そしてしばらくして、僕は眠くなってしまった。 
 

     

 二章



 人に普通の高校生とはどんなイメージか聴くと、それぞれの違った価値観でそれを答える。
 僕にとっての僕は普通の高校生なんだけど、きっとみんなが答えるような普通の高校生とは違うと思う。

 みんながイメージする普通の高校生とは、
 放課後、部活に励む人
 授業中、まじめに参加せず友達と話をする人、ただ寝る人、
 恋をする人、
 される人


 僕はきっとそれのどれかでもあってどれでもない。
 それでも僕は僕を普通の高校生と呼ぶことにしたい。

 何かに抵抗するように。
 何かをあきらめないように。

 ぼくがそんな普通にすがり始めたのも、
 一瞬で身近になったある病のせいだった。



 人はたまにTVが悪趣味で作る不幸にスポットした再現ドラマを見る。
 それは他人にとっては現実だが、自分にとってはどんなに身近でも、
 「自分ではない」時点で、それはフィクションと変わらなく、
 映画を見ることと同じ延長線上の感覚だからだ。
 たとえば、
 「不治の病との闘病生活に密着!!」
 そんな番組がやっているとしよう。

 知識的好奇心のため、
 暇つぶしのため、
 ふしだらな興味のため。

 僕だったらそれぐらいの理由がないと、とてもじゃないが見る気になれない。

 いやでも、不幸はいつだって人を襲う筈だ。
 それは誰でもどこでも。
 襲われた人間が天使だろうと
 悪魔だろうと現実は関係しない。

 ただ、不幸の通る道にその人間が居ただけ。

 自分から気づかず迷いこんだのか。
 鎖に繋がれ、引っ張り出されたのか。

 現実にはどうでもいいのだけれども。
 とりあえず、人はいつかは不幸のベクトルに触れてしまう時が来る。

 それが大きな津波の時か、
 さざ波の時かも
 その人の運次第。

 
 僕がそのベクトルに触れてしまったときは、

 とてもとても幸せなときだったから、
 もしそれが実は小さなさざ波だったとしても、
 とてつもなく、
 大きく感じてしまっていた。

 

     

三章

 シンセンパイこと。

センパイは何もしても上から3番目くらいに出来る人だった。
 運動、勉強、バンド、ダンス、絵画
 どれをとっても上から3番目くらいの完成度を保った。
 順位も、形も。

 それが僕にとってのシンセンパイだった。  
 歳が一つ上という違いだけなのに、性格も大人びていていた。

 初めて会った時は、自分と同じ中学生だとは思わなかった。
 たまたま同じ部活動に入っていなければ確実に知り合わなかった人種だった。
 よって僕は当時入っていた部活に、ゆういつその点だけ感謝の姿勢を見せていた。

 シンセンパイは輝かしい事を、
 望んでいるのか無意識なのか、
 それはさだかではないが、
 涼しい顔のまますることができた。

 あそこまで淡々とされると、
 僕みたいな人間からは嫉妬を超えた感情にしかならない時もあった。

 とうに諦めて、生まれる時代を間違えた教祖ですか?
 とくだらなく考えることもあった。

 ここは人数の多い部活だった。
 そして得に目立つこともない僕。
 だけど、そのセンパイは僕に近づいてきた。

 そうか、書いてた絵くらいなら目立ってたかもしれない。
 まあ確かにそこは美術部であったのだけど。

 でも自分にとっては暇つぶし程度の存在価値だった。
 今はもう覚えてないけれど、センパイは僕に話しかける時、最初こういったらしい。
 「なぜ、そんなきれいな絵を、とてもつまならそうに描けるの?」
 とっても失礼でいて、
 的を得ていて、

 じゃあと、僕はこういったらしい。
「楽しんでますよ。だって好きですから。」

「嘘は楽しそうに言うのね。」
 センパイはわりとまじめに。

 そして僕は
「信じてくださいよ」
 いたって楽しげに、

「センパイはどんな絵書くのですか?」
 いたってまじめに、嘘を付いた。

     

 四章

 センパイの書く絵に対して、美的意識が欠落している僕は、
 上手いとか、
 きれいとか、
 そんな無感情すぎる感想しか持てなかった。

 好みによればセンパイより僕の方がうまいって言う人間も居るかもしれない。
 いや、そもそも美術を僕のような子供に求めちゃいけない。
 ゆるい感性がゆるくそれを判定するだけだから。

 そしてそんな感性が、
 センパイの書く絵に惹かれるという結果を僕にもたらした。

 しつこいようだけど、僕にはセンスというか、
 感性が欠落している。
 それでも人は僕の書く絵を上手いという。

 上手いんだから上手いと言われるんだろう。
 だからいいじゃないか。

 そう楽観的に考えられないのが僕だ。

 僕にとって、僕の書く絵を上手いと言ってくる人間の描く絵、全てが上手く感じる。
 なんていったって僕の絵は下手以前に”絵”ではなくて、

 絵になろうと必死に取り繕ってもがいた偽物

 でしかないから、

 そう考えてしまう自分だから、
 自分にはセンスがないと思ってしまう。

 何でそう考えるのか
 こんな単純な疑問に答えられたら、僕はきっと絵を辞めてるだろう。

 ぼくは答えを模索しているために絵を描くのかもしれない。


 シンセンパイとはそんな絵を通じて知り合い、
 そしてよく話すようになった。
 絵を通じて知り合ったはずなのに、
 お互い絵に関して話すことが少なかった。
 それどころか、仲が良くなればなる程、お互い絵を描かなくなった。

 僕にとってそれはまったく都合は良かったんだけど、
 シンセンパイはどうだったのかは、よくわからない。

 ただ、センパイが僕に話してきたいくつかのことを思い出すと、
 あながちそれが予想できない訳でもない。

 たとえば、こんなやりとりだった。



 それは二人で居るとき。
 「ねえ、好きなものってあるかな?」
 部活に顔を出さず、夕日沈む、教室脇のベランダにて。
 センパイの顔は夕日にとても映えた。
 しかしその夕日の逆光で明確にセンパイの表情は察せ無かった。
 それでも真剣な声色で僕に聞いてきたことだけはわかった。
  

 「なんでそんなことを聞くの?」
 ちなみに、僕が年上の人間に対して敬語が使えない訳じゃない。
 センパイが敬語を嫌うのだ。
 センパイは、何かを敬ったり、何かを尊敬することを好まない。
 だから、敬語の存在性も信じれない人間だった。

 「まあ、教えてよ。」
 

 「このガムは割とね。」
 夕日沈み、僕のガム風船は膨らんだ。
 僕の吐いた空気で。

 「好きな人は?」
 答えをはぐらかす僕を、質問で追い立てる。

 「初恋は小三で終わったって話したけど?」
 ガム風船が割れると同時に、
 「なんで、者や物が好きになれるの?」
  


 そんなどうしようもない質問をした。


 僕は、

 何で生きてるのとか
 何で働いてんのか
 なんで今こうしてるのとか。
 なんでって言葉の便利さに、すがってはいけないと思った。

 この言葉は、
 大変便利なんだけど、或る意味で禁じ手だと思う。
 なんにでも「なんで」って思う時点で、それは答えを探そうと前向きになるんじゃなくて、
 当たり前っていう常識や概念から逃げてることに変わらないから。



 こんなやり取りがあったわけだけど、
 センパイが言ったこの言葉と、   
 初めて僕に話しかけてきた言葉で、
 センパイが絵を描かなくても全然平気だった理由が、
 分かる気がするんだ。
 なぜかは、わからないんだけど。

     

 ゆっくりと目を開けた。
 当たり前の様に木目状の天井を捉えた。

 いつの間にか寝ていて、いつの間にか起きた事に気づいたのは、その数分後。
 睡眠不足気味だった僕の体にとって、この睡眠は安らぎに変わりなかった。


 そして、手のひらにあった筈のビンの感触が無いことに気づく。
 そして、すぐ見つける。
 畳の上に転がるそれは、僕から逃げたわけではなく、ただ単純に、僕が手放しただけのようだった。

 すぐ拾いに行こうよ。

 さっきから頭が体に指令している。

 その体は拒否している。

 今は何よりもねむいんだ。
 まるで駄々を捏ねた赤ん坊みたいだ。

 そして、まだらに残った夢の記憶を反芻する。
 夢の中でセンパイと会ったことだ。
 そのセンパイは、相変わらず同じ表情をしてて、
 僕をいつもと変わらず見つめていた。

 そんな、病気になる前のセンパイの顔はまぶしかった。



 5章



 神様が人を作ったっていう神話が数ある。
 僕は違うと思う。だって人を殺すのは、神様にはあまりにしんどいことで出来ないと思うからだ。
 壊せないなら作れないだろう。
 頭がおかしい考えなのは認めている。


 あと、
 不幸のベクトルがどうのこうのとか、
 人間が己の運命について考え出すと、
 本当にどうしようもない結果に陥る。
 それは、答えを出したつもりになって、
 結局は抽象的な表現でうやむやにごった煮して、
 長く深い螺旋階段で見切り停車するからだ。
 つまるところ、こういうことだ。

 センパイが病気だと僕に打ち明けた時、
 それは僕が高校生の時だった。

 その頃、ちょうど僕は大学に合格していて、とてもとても幸せ満点の時だった。
 そしてその感情が氷点下まで下がった。

 センパイらしい、飾り気のひとかけらもない言葉で一言、
 「来年、死んでるかもしれないから。」
 つげるような言葉だった。

 センパイからは、人を好きとか、嫌いとか、
 そういう感情に欠如した言い方が多かった。
 まるで未練がないのか、そもそも興味がないのか、
 疑いたくなるような表情も多かった。

 どんな全米が涙した感動ドラマでも、
 あそこまで無感情に発した死の宣告は聴いたことなかった。
 

 まあ、ああゆう物に例えてしまう自分が嫌いだけど。

 とにかく僕は、じゃあ、それまでに貸したCD返してよと、
 割りと真面目に考えてしまっていて。

 そして気付いた。本当に馬鹿らしい。


 そんなことを考えている間にも、
 病気の原因であるとか、
 生存率とか
 きっとやたらと本を読み漁ったんだと思うけど、
 難しい言葉を時折挟みながら、
 僕の目を見て、
 僕のしぐさを見て、
 だけど僕の考えていることは見ないで、

 ただ自分のことだけを話していた。

 そんな、滅多に見せないセンパイの自己中心的な発言に、
 僕は切れた。

 慣れないことの所為で記憶がないのが惜しいのだけど、
 罵倒を一通り繰り返したと、後でセンパイから聞いた。


 同情で泣くよりも先に、ね。

 本当に慣れてないと、加減を知らない。
 僕はセンパイを五寸釘で心臓を串刺しにしても飽き足らず、

 「なんであきらめるの?」
 「ふざけるなよ」
 「もっと頑張れよ」 

 センパイに向かって、三連射で浴びせた。 
 諦めてなくてふざけてなくてがんばってる人に言っちゃいけない言葉。
 僕は、センパイに対してすごい後悔をしている。

     

 僕は、センパイに対してものすごい未練を持っている。


 六章



 ゆるりと立ちあがった僕は、キッチンへ向かいコップを食器棚から用意した。
 一人暮らしをはじめるにあたって、均一料金で並べられてものから選んだ薄いガラス製のものだ。
 選んだ理由が思い当たらないところが僕みたいだ。

 それに並々と水を注ぐ。
 重力で落ちていく水は、蛇口からコップの中へ己の身を移り変えていく。
 この変化に、水そのものの意思は関係ないのだ。

 床に転がっていたあのビンは、拾い上げてテーブルの上に置いた。
 僕がよく読む小説には、人間はもろい生き物だって書いてあった。
 けれど人間は何千年という歴史を積んでおり、
 ちょっとやそっとでは滅ばないようなシステムを体や環境に精密に作り上げている筈だ。

 だから、
 体が壊れようが
 心が壊れようが、
 死ぬことなんて中々出来るものじゃないと僕は考えている。

 その考え方では、それは許された人間にしか出来ないと、
 僕は思う。

 そもそも、体や心が壊れれば
 その当人にとって
 創造を絶する苦痛という信号を受信する。
 それをやっとの状態で耐えて超えた先に、
 待ち望んだ死が待っているのだ。

 この苦しさを超えるのには、
 それを耐えうる相当のものが必要で、

 だからこそ、僕は許された人間しかそれが出来ないと思うわけで、
 ある意味、才能じゃないかと考えている。

 死ぬことができる才能。
 こんな風に考える僕を壊れていると思う人もいるだろう。
 軽蔑した目で可哀そうにと、
 僕、私とは違う人種だと一線を引かれることだろう。
 だけど、
 僕は自信を持って言うと、
 僕は普通だよ。
 少なくとも、
 この僕にとっては。



 ぼんやりとしたその思考回路を待つように、コップの水が波打ちを続けていた。
 永遠と、そして微弱ながらも、ゆらぎを保ち続けていた。

 しかし、それでもいつかは平面な状態に戻るだろう。
 その時は、こんな僕の顔でも写しながら。


 僕の考えによると、人間には死ぬ才能があると話した。
 そもそも人間には何かしらの才能が一人一人あると思う。
 だけど、それを見つける人間は限られていると思う。

 僕は、今までそれを見つけることが出来なかった側の人間だ。
 ちなみに、人から褒められることが少なくない絵は、
 才能にあたるとは思わない。
 むしろ、そうであることを望ましく思わない。
 つまり、もっと違う才能がほしいと思い続けた。


 センパイは、自分には才能がないとかつて言っていた。
 何をしても、一番になれず、
 なんでも出来るけど、
 なにもできない。
 それが自分だって、センパイは言っていた。



 僕はビンの蓋を回した。
 一回と半分ひねると、その口が開いた。
 僕が中学を卒業して、高校は別々になったけど、
 センパイとは交流が途切れることはなかった。

 まめに連絡を取り合っていた訳じゃないんだけど、
 気づくと一緒に過ごしていて、
 何をするわけでもない時間を共有した。

 僕のゆるい感性が、
 センパイと居ることを望んだ。

 センパイはそれを拒まず、
 許容してくれた。

 

 僕の手のひらに錠剤で出来た小さな白い山が完成した。
 この薬は、センパイから買った。


 あの時、
 センパイが美大に合格した時、
 素直にうれしいとは思わない自分が居た。

 自分では到底合格できないところに受かっていたから。
 下衆びた人間らしく、
 「おめでとう」も口にしなかった。



 その翌年の1年間、
 人生最大の努力で最上級のまじめ人間になり、
 同じ大学に受かる。
 ああ嬉しいと思う気持ちと、
 ずっとずっと秘めていた思いが、
 思わず熱くなりこぼれ出そうになる。
 何年も言わずに秘めていた思いだ。
 そうやって、決心して言おうとした矢先のできごと。




 

 崩れ落ちそうな僕の手のひらの雪山に、夕日が当たっていた。
 いつのまにか日が暮れていた。
 僕の覚悟をずっと待っていたかのようだった。

     

 センパイは、僕に伝えた時間に対して一切の狂いなく死んだ。
 最後に見たセンパイの死に顔は、人口的な化粧を美しく施されていた。
 それだけで、ふだん化粧気のなかった顔を見慣れていた僕は、
 逆に違和感を覚えた。



 七章

 僕はセンパイのことを強いと思ったことは無かった。
 病気になってからしばらく経った後のセンパイは、
 生きているのか、
 いや、生かされているのか
 まるで分からなかった。

 センパイは、
 死ぬまで弱音を吐かず
 と、そんな楽にはいかず、
 苦しいときは、

 泣き叫び、
 喚き、
 殺せと
 叫び、

 楽な時は、
 辛いと、
 まだ死にたくないと、
 泣いて
 泣いて
 なんでわたしなの?
 廻りにあたり散らし、

 気の毒なほど、病気の気まぐれにセンパイは振り回された。

 



 そのうち、僕はセンパイの病気を尊敬に値し始めた。

 ちょっとやそっとではへこたれない強さ。
 人間を極限までもて遊ぶサディストぶり。
 トドメを刺す時のあっけなさ。

 どれをとっても、一級品。
 だから、
 お願いだ。
 僕に見える形で出てきてくれ。

 どんな姿でもいい。
 僕の見える触れる殴れる
 その姿で、
 僕の射程距離内に現れて欲しい。

 そう、頼み続けた。

  





 部屋が暗くなっても、部屋の明かりはつけずにいた。
 僕は、いつまで経ってもずっと考えていた。

 この薄暗い部屋は、まるで僕の心みたいに、
 少しじめじめした。

 コップの水は、随分と前に平面になり、
 もう僕のことなんて興味がなくなったみたいだった。
 僕の手のひらの錠剤も、とっくに崩れて何粒か床に落ちていた。




 僕はずっと何を考えていたのだろう。
 ちなみに、この薬は手に入れたときが初めて見た訳じゃなかった。
 あれは確か、僕が高校2年生の時、
 センパイの部屋で、僕に見せびらかすように、センパイが机の引き出しから出してきたのが最初だった。

 この薬のビンを、両手で弄びながら。
 「こないだ、手に入れたの」
  なんの?と僕が聞く前に、その質問にセンパイが答えた。
 「この薬は、私が何で生きているのか、何をするべきなのか、何を目指すべきなのか、
  そういう色んなことが分からなくなった時に」
 「そんなくだらない理由で、飲むの?」
  珍しく、僕の目はセンパイの目を直視した。
 「あなたにはわからないよ」
 わかりたくもない。心が無意識に言った。
 「自分の、ゆういつの才能かもしれないからなんてね」





 やっとの思いでついた決心で、僕は手のひらの錠剤を、自分の口元まで持っていった。
 センパイが、己のために手に入れたこの薬、
 センパイが、飲むために買ったこの薬。

 まだセンパイが入院している頃、
 僕は、薬を持って来て欲しいというセンパイの願いを断り続けた。  
 僕の前で、めそめそ泣きじゃくるセンパイをかたくなに拒絶した。


 まだ諦めるな。
 僕は、今でも憎たらしいセンパイの病気と同じくらい厳しく、
 そしてとてつもなく無茶難題をセンパイへ言い放ち続けていた。


 



 手のひらを軽く傾けたら、僕の口の中に錠剤が入ってきた。
 口内が異物を察知する。





 その感触をゆっくりとかみしめながらセンパイとの会話を思い出す。

 「あの薬がある場所知っているでしょう?」
 (知っているけど)

 「部屋の鍵、渡すから」
 (貰ってもいいけど)


 「あなたにはあげないよ。あれは」
 (センパイの物だけど)

 「お願い。私に生きる意味を与えて」




 会話の内容を反芻していたら、僕の口の中が白い錠剤でいっぱいになった。
 あとは時間との勝負だ。
 僕はイメージトレーニングどおりに、すぐにコップを口元へ近付けた。



 水の流れを感じながら考えた。
 センパイが自分の才能を見つけられずに死んだ事を。

 生きる意味とか、目的とか、
 そんなくだらないことばかり考えていたセンパイの末路は、
 本当に最後まで自分の思ったとおりにいかない死だった。


 僕はセンパイの死後しばらく経ってから、センパイの部屋に忍び込んだ。
 
 その目的は一つ。
 たった一つ。

 センパイの部屋は、普段は整理整頓から軽く遠ざかっていたことが多かったのに、
 主が死んだ後の状態はしっかりされていた。
 まるでそこに人が住んでなかったみたいだった。

 僕はかつての記憶からその目的の場所を見つけ、
 ビンを手に取った。
 そして、そのビンがあった場所に自分の有り金全てを置いた。

 この行動は、
 最後まであなたにはあげないと意志を貫いたセンパイに対する、
 礼儀とか、
 謝罪とか、
 色々そんな気持ちが詰まった行動だった。

 要するに、勝手にこの薬をセンパイから買い取ったと僕はこじつけた。

 「恐い?あなたにはその才能が無いと思う。」

 お金を置いたと同時に、センパイの声が背後から聞こえた気がした。

 僕はその時寒気がした。
 恐怖が沸いた。
 それは最初センパイに対してだった。

 こんなものを実際に手に入れたセンパイに対して。
 そして僕は同じ人間とは思えない程恐怖を感じた。
 しかし、
 「恐いよ。けれど、僕はこれが欲しいから、ここに有り金を全て置いていくよ。対した金額ではないけど。もう使うことはないと思うし、
  もちろん、センパイだってこんなことされても困るだけだと思うけど、最後の嫌がらせだと思ってよ」
 それだけ言い残し、ありったけの勇気を絞って、僕はその場を後にした。


 つまり、僕は珍しく一つの嘘も付かずに
 自分の本音全てをさらけ出して、
 センパイからこの薬を受け継いだ。



 コップの水が喉へ流れ込んだ。
 その後、目を閉じ、そのまま最後となるだろう思考を巡らした。

 そしたらまたセンパイの顔が頭に浮かんだ。
 センパイへの思いも頭をよぎった。
 それは、結局最後まで言えずにいた思いだった。
 センパイに対する、僕の思いだった。
 この思いと、
 薬を、胃へ流し込んだ。

     

 暖かくなると、僕は自然と反発するように心が冷たくなることが多かった。
 まるで、与えられると拒絶して、ほっとかれると駄々を捏ねる子供のようだった。

 僕が人からぬくもりを受けることは度々あった。
 それは優しい人、
 優しくない人、
 関係は無かった。
 それは、人が出来る最低限のぬくもりみたいなものだった。

 そして最低限だからこそ、
 気づかないくらい小さな嬉しさを受け取ることが出来た。



 僕が機嫌の悪い時、
 我がままな自己主張ばかりする僕に同調してくれて、
 そして慰めてくれた。


 僕が悲しい時、
 ただ傍に居てくれた。

 僕が寂しい時、
 一緒に寂しいねと言ってくれた。



 


 今思い返しても、優しい人だったとは特に思わない。
 だからからなのか、
 本当に小さな嬉しさが、
 今でも頻繁に
 思い出から溢れてくるよ。

 何よりも小さくて、
 何よりも沢山あって。
 それを考えると、僕は全くさみしくなくなるんだ。
 






 最終章

 気がつくと、僕の目の前に人が現れた。
 いや、これはきっと僕が表した妄想か走馬灯だと思う。


 改めて考えると、この人とは短いようで一緒に居た時間は長いことに気がついた。

 だからその分、僕の中で少しも曇らず表すことが出来るのか。
 いつもうっすらと綿ぼこりが被る僕の思考回路でもね。


 だんだんと、僕はその人に近づきたい感情に悩まされ始めた。

 その人との距離は、見た目では対したことはない。
 多分、一歩で近づける。
 いや、もっと近いかもしれない。

 けれど、その一歩で近づけば後悔することを僕は知っている。
 「やっぱり、もう遠いんだ。」
 という真実を見せつけられる気がするから。


 そして、僕の手足は自由に動けないことに気づいた。
 夢の中で全力疾走しようとしても、上手く出来ないあの感覚に酷似していた。

 
 あの人に近づくのは簡単なのに、
 触れるのも手を伸ばせば出来るだろうに、

 なんで、僕はそれをやろうとしないのか。
 行動を起こせば後悔しないのに、
 それなのにまるで後悔したいかのようにやらないんだ。

 なんでと聞かれても。
 だって
 でもと、
 言葉が詰まってしまうのに。


 僕は生きている間何に対してもずっと無関心で、
 関心があるものに対しても無関心を装って、


 本当は大好きである絵を好きとは表現せず、
 そして嫌いともはっきりさせず、

 好きと言えば、何かプレッシャーを感じてしまいそうで、
 嫌いと言えば、かっこいいけどかっこ悪くて、


 そしてゆういつ、
 自分に自信がないという
 本当にくだらないこの理由が僕を貫いていて、

 冷めたふりをすることに劣等感と愉悦感を同居させていたんだ。
 そして、今、この目の前に現れた人は、
 僕のそんな軟弱な意思の典型な関係で、

 

 好きと告白されたことがあっても、
 後で嫌いになられるのが恐かったから、
 うやむやな意思な返事で、
 ぐだぐだにして、
 そしてまるで何もなかったかのようにさせてしまっていた。


 「いつかは好きと言うよ。いつかはね。」
 自分の中で、リピートし過ぎて擦り切れかけたテープみたいなこのセリフ。
 まさに今、
 言えるのなら、後悔しないのにね。


 
 僕は、周りをよく見渡した。
 そこらじゅうに、真っ青な絵具で塗り散らかしたような、
 ブルーの景色があった。

 空も青い。
 地面も青い。
 まるで空気も青いみたいだ。

 僕の存在も。

 こんな絵を描いてみたい。

 その中で、目の前の姿形が、キレイに浮いていた。
 センパイはとても美しかった。 
 手を伸ばしたい欲求が止まらなくなる。
 この手であなたを抱きとめたい。

 そこらじゅうが青いこの世界の中で、そう思い立って手を伸ばすと、
 その僕の手先が青く染まっていった。

 そして手先から、手首、肘へと。
 ゆっくり、
 ゆっくり
 そしてぬるく
 なんだか、あったかいなあ。
 どうしてだろうな。
 僕の思考回路までぬるいブルーで染まっていった。


 「センパイは、青く染まらないの? 」
 センパイはその質問に答えない。


 「センパイは、死ぬ前に例の彼氏とは別れたんだっけ?」
 センパイは答えない。


 「そういえば、入院する頃には連絡取れなくなったんだっけ?」
 センパイは答えない。


 「ごめんなさい。わざと聞いてる。傷つくの承知でね。」
 センパイは答えない。


 「でもさ、」
 センパイは答えない。


 「もうどうせ死んでるし、思っていたこと色々ぶちまけても許されないかな?」
 センパイは答えない。


 「名前を呼び捨てで呼んでって言っても、センパイとしか呼ばなかった。」
 センパイは答えない。


 「なんかその方が、しっくりしたから。」
 センパイは答えない。


 「年上なのに呼び捨てっていうのも、付き合ってるみたいだしさ。」
 センパイは答えない。


 「付き合ってと2回、好きと言われてたのは3回僕に言ってきたよね」
 センパイは答えない。


 「どれも、答えなかった。うんも、いいえも。今更だけど、答えなくてごめんなさい。」
 センパイは答えない。

 「だけど、答えなかった理由はとてもダサくて言えたものじゃないけど、これだけははっきりと言っておくよ。」
 センパイが少しだけ、動いた気がした。
 

 「センパイと居ることが、センパイと過ごすことが、それだけが、僕にとっての生きる術だった。」
 センパイは、僕のことをずっと見つめている。

 
 「だから、センパイが死んだ以上、僕には生きる術が残されてなくて、」
 センパイが僕を見つめながら、僕の方へ少しだけ近付いた気がした。

 

 「例えこの肉体が生きる術を沢山持っていても、僕の心の生きる術はセンパイ一人だけだから、」
 「この生きる術を失った僕は、なんとか生き残る術を探して」



 そして見つけた。全くの遠くに行ってしまったセンパイのところに行って、
 一生、一緒に過ごすこと。
 それが、僕に残されたゆういつの生きる術だった。



 センパイは、僕の告白に一言答えた。
 僕の大好きな表情、めったに見せない、笑顔。
 「また会えて嬉しかったよ。」












________________




【epilogue】


 「命に別状はありませんが、もうしばらくの入院が必要だと思います。」
 「飲もうとした薬を無意識に吐き出したことが助かった理由でしょう。」
 「しかし、不思議ですね。まるで、自分の意思という感じではなかった。」

 初老と経験を感じさせる声で、僕は目覚めた。
 そして自分には点滴が繋がれていることに気づく。

 右のベッドサイドには両親が二人いた。
 二人共、僕が目覚めたことに気づく。

 初老の白衣の男性は、僕の体に異変がないかチェックした後、
 それではと、個室の部屋からすっと出て行った。

 両親は僕の体調関係無しに無理やりベッドに座る体勢をさせた。

 父は両肩をつかみ、罵倒した。  
 母は自分を抱きかかえつつ、泣く。

 二人は一通り満足した後、やっとまともな質問をしてきた。

 「何で死のうとした?」


 僕は、何で死ねなかったのか考えたが、やっぱり分からなくて、
 両親の質問にだけ答えた。

「それだけが、僕の生きる術だったから。」



 (了)

       

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